溺愛セレーネ

シチュエーションCDや乙女ゲーについてぽそぽそ呟きます

ラストシーン

10月24日。

去年までは世界でいちばん大切な日でした。

 

生まれてきてくれたこと

素敵な声やお芝居を発信してくれていること

歌やダンス、新しい事に挑戦している姿を見せてくれること

 

ひとつひとつに感謝して、主役のいない誕生日会をして。

 

それは、今年からは8年ぶりに「普通の日」になりました。

 

  お誕生日直前から行われた配信、遅れてではありますが、日付超えてから少し拝聴していました。

ああ、もう無理だ、って思いました。

 

3月に色々と彼の報道があり、知らなかった事実や、わかっていたはずなのに目を背けていたことに向き合うことになりました。

 

勿論、声優さんなので、声や演技は言わずもがな大好きだったのですが。

私が推したいと思った彼は、何手先も見据えているのかな、と思わせるリスク回避をしている人でした。

心のない演技と言われるのは、同調させるよりも理論立てて考えているからなんだろう。

ファンにアンケートを取るのは、みんなが求めている姿と自分の理想を重ねて、そこから一番いい状態を導き出すためなんだろう。

 

まぁ、私が勝手に理想を押し付けていたといえばそうなのですが。

だからこそ、3月の出来事があった後の悪手ばかりの状態に辟易していて。

欲しい言葉をくれなかった、と書くと、ただの我儘なんだなと改めて感じて、なかなか自分でも嫌になりますね。

 

とにかく、彼の思い描く自身のこれからの未来像と、私が思い描く理想の彼の姿は決して共存できないものなのだと思いました。

 

散々3月のことを連想させる言葉を並べた上で、「6月に一度死んでいる」と発言した彼。

この言葉を聞いたときに、ギリギリのところで保っていた自分の感情がガラガラと音を立てて崩れていくのがわかりました。

 

もう無理だ。私はこれ以上この人のことを好きでい続ける努力は出来ない。

 

 

この数ヶ月、彼の姿を見たくなくて、部屋中にあった彼のグッズなどは見えないところへ移動させました。

あんなに大好きだった曲やお芝居も聴けなくなって。

最初のうちはせめて生配信の番組は…と思って、彼がこれから見せていきたいと言っていた姿に向き合わなければ、と思っていましたが、時間が経つにつれて、そこも見れなくなってきました。

 

見るたびに、辛くなるんです。

 

欲しい言葉はそれじゃない。

彼の言葉は、謝罪や反省をしている姿を見せているようで、違う。

自分を卑下して見せて、「そんなことないよ」って優しく声をかけてくれる人だけを自分の周りに集めているような気がして。

 

やっぱり私が潔癖なところがあって、彼の行為自体にも不信感しか残らないんですが、それに加えて、私が見ていた彼の過去や、彼が見せてくれると言っていたはずのあの時から見た未来の状態も、どれも全部、辛くて。

 

卑下して欲しいなんて思ってない。

「僕なんか」

欲しいのは、そんな言葉じゃない。

 

しんどいときに、たくさん楽しい思い出を作ってくれた人です。

素敵な作品やキャラクター、素敵な出会いを作ってくれた人です。

 

それなのに。

なんで、こんなにこの人の紡ぐ言葉ひとつひとつに、毎回こんなに苦しい思いをしなくちゃいけないんだろう。

もう、このへんで頑張るのはやめにしようと思います。

私は、あなたが欲しいお花畑な言葉を向けることはできない。

 

推しに辛いことがあった時こそ、ファンが助けないといけないんじゃないの?って、応援します、っていう言葉を送れなかった自分に何度も問いかけました。

 

それは今もそうだと思います。

ファンは推しの一番の味方でありたいです。

 

でも、それは、ファンが蔑ろにされていいということとは別です。

 

時期的なことを言うと、アニバライブまでは、本当に本当に楽しかったです。

アニバライブから先が、ずっとなんだかファンが蔑ろにされている感覚があって、そしてその期間が数年続いてからのアレです。

薄々感じ取っていたものは、もしかしたら間違いで、もしかしたら正しかったのかもしれない。

 

長い間、本当に素敵な時間を共有してくれて、ありがとうございました。

私はお手伝い出来ませんが、幸せだと思う時間が一秒でも長くあることを陰ながら祈っております。